2016年7月12日火曜日

仮面ライダー 多摩美一丁目

以前の内容に誤りがあり、たくさんの指摘をいただきましたので再取材に赴きました。その前回の取材からすでに8年近く経っており時間の流れの速さに些か驚きました。


第76話「三匹の発電怪人シードラゴン!!」
物語冒頭ナオキ、ミツル、チョコたちが歩く道は、小田急線読売ランド前駅から生田スタジオに向かう場合、誰しもが通ることになる道です。


最も奥のブロック塀は、現グリーンフラット多摩美のものではないかと思われます。


この通りに沿って立ち並ぶ電信柱がおおよその位置の目安になります。写真の最も手前の電柱は多摩美354(東映支17)で、ここにシードラゴンの缶詰を売っていたお店があったようです。


現在お店は既になく、2001年に建設されたオーロラ天文台となっています。


チョコたちと全く同じルートで本郷と滝が単車で調査に駆けつけます。


ここに映る電柱も多摩美354(東映支17)。天文台の隣に映るお住まいも改築済みです。


滝の後ろの建物が「かしわや」さんで、お店兼お住まいとなっているようです。


「かしわや」さんの隣のお住まいも改築されていましたが、2008年に撮影した写真では番組と同じブロック塀が残されていましたが、現在はそれも撤去されています。


この「かしわや」さんは、前回の取材ではシードラゴンの缶詰を売っていたお店と見事に勘違いしてしまいましたが、現在ではこの通りのほとんどのお住まいの改築が進む中、往時の佇まいを色濃く残す数少ない建物です。


放映日
1972年9月9日

取材日
2016年5月3日

16 件のコメント:

  1. hideです。
    ご無沙汰しております。
    2004年に初めて「かしわや」を訪れた際、土地勘が未だ無く、私も同店が件のお店では?と錯覚した次第です。
    その時、同店のお母さんに映像写真をご覧頂き、色々とお話を伺ったのですが、上から四枚目の映像写真について、「こんな人はお店にはいなかったですね」とお茶目なコメントを頂きました。
    また、「昭和四十年代、うちは明治の飲み物は扱っていませんでしたから」と、映像に映る「Meiji」の文字に着目され、はっきり「かしわや」ではないと断言されました。お母さん曰く、「お店(O川商店)の前にロープを張り、よく撮影していましたよ」とのことです。

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  2. hide様

    コメントありがとうございます。かしわやさんで昭和四十年代に明治の飲み物を扱っていなかったというお母さんのコメントは大変面白いですね。なるほど!と思いました。今回は定休日でしたがやはり一度昔のお話を伺いにいきたいですね〜。ロープの張ってあったところは「小◯商店」ということで良いのですかね?

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  3. hideです。
    単に〝この前の道路〟と仰っていたと記憶しています。
    ですので、厳密に「小O商店」の前かは定かでありません。
    しかし、ご近所ですので、両店を含めた前の道路ということだと思います。
    「ハッピーパン」前でのシーンでは、頻繁に「かしわや」さんも映り込みますし。

    それと、「朝の出勤時、店の前を左(南側)から右(北側)へ、夕方は右から左へ、この辺りに住んでいる人達とは逆に歩いている方々は、その殆んどがスタジオ関係者でした」とは、お母さんの述懐。更に、「その中には死神博士もいましたよ」とのことで、天本さんではなく、敢えて〝死神博士〟と仰って、当時の想い出を語って下さったこともありました。
    お母さんからは色々と興味深いお話を伺いましたが、この逆方向へ歩いて行くスタジオ関係者の想い出話、当時の光景が想像出来、個人的には最も気に入っています。

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  4. ついこの間、親しくしていただいている地元にお住まいの若い男性から、かしわやさんも店じまいされるという話を聞きました。
    大変残念です。

    住人の方々とは逆方向へ歩いて行くスタジオ関係者の想い出話、確かに興味深いですよね〜。

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  5. はじめまして。
    「読売ランド かしわや」で検索してこのブログにたどり着きました。
    1972年から1986年まで多摩美に住み、その後もランドに住み続けている者です。
    以前から「東映生田スタジオ」で検索してこのブログにたどり着き懐かしく読ませて頂いております。

    先週の金曜日、7月29日に5,6年ぶりくらいに何気なく昔住んでいた多摩美に行ってみようと思い自転車でかしわやの前を通ったところ店の前の自販機が全て撤去されており、店のシャッターは開いていたのですが中のショーケースが入り口付近まで出されていて不可解な状態でした。
    家に帰って同居している母親に聞くと今も多摩美に住んでいる友人に最近聞いた話ではかしわやのおばさんは亡くなったような話をしていたと言っていました。
    今日、確かめるために午後二時くらいにかしわやの
    前を通るとシャッターは閉まっていましたが、雨戸は開いていました。
    自分にとってかしわやは子供時代に毎日通って、明るく人当たりの良いおばさんとの触れ合いがとても懐かしいので気になります。

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  6. 匿名 さま

    コメントありがとうございます。ショッキングな内容でいささか動揺しております。
    他の方からも家財が運び出されていたというようなコメントも頂いておりまして、僕としても大変気にしていたのですが、、、

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  7. ご返答していただき誠にありがとうございます。
    今日も見てきたのですが、前回と同じで雨戸は開いていましたが洗濯物が干されていませんでした。

    当時多摩美の坂の上の方に住んでいたのですが、お店の近所の人はどう呼んでいたかは覚えていませんが、坂の上の多摩美の住民で「かしわや」と呼んでいる人はいませんでした。
    多摩美の大半の住民は「キムラヤ」と呼んでいました。
    「かしわや」と書いてある横のスペースにパンの木村屋の看板があったからです。
    反面、他所から通ってきていた読売クラブの子供や選手は「かしわや」と呼んでいました。
    彼らは練習前にお店に寄ってアイスなどを買い、帰りにカップラーメンやボンカレーを暖めてもらって夕食がわりにしていました。
    あとドラゴンの缶詰を売っていたお店の名前は「国塚商店」かと思います。
    表札に「塚」の文字が入った珍しい苗字だと幼心に記憶していまして、所有している1985年、1994年、2008年のゼンリンの住宅地図の1985年と1994年には「国塚商店」と表記されていますね。
    2008年の住宅地図には「オーロラ天文台」になっていますね。
    1994年の住宅地図には「国塚商店」と「小川荘」が現在のオーロラ天文台の場所に同じ建物に表記されていて隣が「小川」さんなので近親者と思いますね。
    それとその「国塚商店」の店の名前は自分を含め多摩美の住民は殆ど知らなかったと思います。
    それはこの店はアイスクリームの冷凍ケースと少しのお菓子と煙草を売るタバコ屋さんの風情でアイスを買おうと「すみません」と呼んでも誰も出てこない事が多いくらい商売気のないお店で店の存在感が全く無かったからですね。

    撮影所の思い出ですが、スタジオの外に焼却炉がありまして今日ちょっと見たら跡らしきものがありました。
    その焼却炉でセットから着ぐるみ、スタッフの飲み終わったジュースの空き缶までを燃やしていました。
    当時はダイオキシンの発生まで思いが至らなかったでしょうね。
    焼かれる前のうず高く積まれたジュースの空き缶の潰れていない缶を選別して夏祭りの子供御輿を作っていました。

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  8. 元住民 様

    当時からお住まいの方でしかわからない貴重なコメントありがとうございます。
    「国塚商店」というのは初めて聞いて驚いております。また、柏やさんでの買い物の様子や、スタジオの焼却炉(煙突の付いたやつですかね?)にまつわるお話も大変面白く読ませていただきました。本当に興味深いお話ばかりです。

    もし、元住民様のご迷惑でなければ、もっとお話を伺うことができれば!と思います。

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  9. ご返答していただき誠にありがとうございます。
    お役には立てないかもしれませんが、街としてのよみうりランドにはとても愛着があります。

    スタジオに関しての記憶は殆ど東映の後にスタジオを使っていた「C.A.L」のものですね。
    実は「東映」の生田スタジオと聞いてもあまりしっくり来ず、「C.A.L」という方がしっくり来ますね。
    小学生の頃、青島幸夫が主演のフジテレビの「意地悪ばあさん」のロケが一度、多摩美で行われたのが不思議だったのですが、C.A.L時代の生田スタジオが使われていたようですね。
    自分は1971年生まれで仮面ライダーは見ていたのですが、ストーリーはよく覚えておらず生田スタジオを使っていたことも当時は自覚していませんでした。

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  10. 元住民 様

    スタジオの記事を書くにあたり「C.A.L」に電話して、色々な時代劇やCMの撮影が行われていたということを教えてもらいました。
    自分は、仮面ライダー他、子供向けの東映作品を撮影していたスタジオという認識が強いのですが、やはり「C.A.L」として刻まれている歴史も大変なものがあるなと思いました。「C.A.L」で撮影されたときいた時代劇も機会があれば見てみようと思っていましたが、「意地悪ばあさん」も是非見てみたいですね。駅前のコメントもありがとうございました!

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  11. hideです。
    元住民の方が仰っているように、「かしわや」のお母さんが亡くなられたのは事実です。
    例のMさんから直接お伺いしました。急に体調を崩され、間もなかったそうです。
    コメントを拝見した時、一瞬時が止まりました。ほんと寂しい限りです。

    「かしわや」の旧看板(『どっこい大作』制作時と同じ)が掲げられた店頭で、はにかんでいるお母さんの写真を見ると、お世話になったことが色々と思い出されます。
    因みに、『異端児たちのセンターサークル―プロサッカー選手を育てるということ』(海江田哲朗/白夜書房・2011年)の中に『かしわや』について触れられている部分があります。生前、「記事になったんですよ」と、嬉しそうに宣伝(?)されていたお母さん。機会があれば、是非ご一読ください。

    また余談ですが、蜂女の喫茶店、解明出来ました。確証、証言も得ましたので間違い無いと思います。
    駅前の変遷については、これまでに行った現地取材、モリリンさんのご協力などを得て、私もまとめている最中ですので、それら含めてまた情報交換致しましょう。何でしたら、ご一緒に取材なんかも如何でしょうか?
    私も、あの駅前の魅力に取り付かれている一人ですので・・・。

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  12. とても、とても寂しいです。
    今日もかしわやを見てきましたが、同じでした。
    実は5,6年前に多摩美に行ったのもネットで検索して最近かしわやのおじさんが亡くなったと知り、かしわやを見に行った時のことでした。
    その時店のシャッターは降りていましたが、偶然おばさんが10mぐらい先を歩いていました。
    話しかけようとしましたが最後にお店に行ってはなしたのが1986年頃で、顔を忘れられていたら恥ずかしいと思い話しかけませんでした。
    その時は随分からだが小さくなられたなと思ったのですが、最近ネットで2年ほど前のお顔を拝見したところ昔とお変わりのないお姿でしたので懐かしく感じました。

    地元の子供は毎日、長時間お店でカップラーメンとかを食べおばさんとも気さくに話していた読売クラブの少年たちに多少嫌悪感も持っていたのですが、おばさんは誰に対しても分け隔てなく気さくで上品に接して頂いて良き思い出となっています。

    今頃、天国で笑顔で優しいおじさんと二人で楽しく過ごされているでしょう。
    安らかにお眠りください。

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  13. hide様

    「かしわや」のお母さん、寂しいですね。ご冥福をお祈りします。
    駅前のドトールに行けばいつかお会いできるのかもと思っていたのですが。。

    情報交換や共同取材、こちらこそ是非お願いします!
    引っ越し後DVDがどこに行ったのか出てこないのですが、とりあえずタコゲルゲを再見します。

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  14. 元住民 様

    私は「かしわや」のお母さんに直接お会いすることはできなかったのですが、ごく最近のご様子を伺いますと寂しさが増してきます。

    それから、私どもはロケ地ファンでたまに読売ランド前で集まることがあるのですが、元住民様にもお声をかけさせていただきたいのです。
    今の所、予定も何もありませんが、もしご迷惑でなければメールを頂けましたら嬉しいです。
    ご迷惑なようであれば、また興味深いコメントをお寄せくださいませ。

    メールアドレスです。どうぞよろしくお願いいたします。
    gary.german40@gmail.com

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  15. MGG 様

    お誘いいただき誠にありがとうございます。
    隠遁生活を送っておりますので、ささやかな情報で協力させて頂きたいと思います。

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  16. 元住民 様

    コメントありがとうございました!了解しました。
    今後とも宜しくお願いいたします!

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